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【DEZERT・千秋(Vo)】12月27日、来る日本武道館ワンマンに向けてこれまでの変遷と挫折、核心に触るインタビュー

あのツアー来たお客さんは今でも来てくれてると信じてるよ。


──武道館ワンマンのこともお訊きしたいんですけど。「君の心臓を触る」っていうタイトルは決まったのはわりと最近ですかね?

千秋:最近だね。ギリギリ。

──DEZERTの歴史のなかで、ある時期から“武道館”って言葉を耳にする機会が増えてきました。千秋さんから見て、武道館っていうものの認識が時系列と共にどう変わっていったのかをお訊きしたいんです。発端になったのは、2019年の12月23日、年末恒例になっていたワンマンライヴのSHIBUYA CLUB QUATTRO公演のMCでの、「2021年に武道館やる」という宣言でした。

千秋:覚えてる、覚えてる。

──あの時、確かメンバーにもスタッフにも言ってないねんけどって1人でマイクをとって宣言したんですけど。あの時期に、“2年後に武道館”っていうのを誰にも言わずに宣言した心境って覚えてますか?

千秋:あのね、感覚的にバンドが結構やばかったんですよ。音楽じゃないところに対しても正直不満だらけで。俺への不満を持ってる人もいただろうし、事務所への不満だったり、もう限界値に達してた時期だと俺は思う。それを肌で感じてて。で、その2019年の春に回ったツアーがまあ酷いもんだったんですよ。「血液がない!」っていう曲に伴うツアーで、内容に関して俺は今でも自信を持ってるんですけど、とにかくお客さんが入らなかった。初めてホールを回るなかで、東京こそ埋まったけど、地方はマジで全然入らなかった。なんかバンドってこういうので終わっていくんかな? っていうのがチラついたんだよね。やってる音楽には自信があるのが唯一の救いだったんだけど、メンバー間もそんな本音で話すような感じでもなかったし、ちょっとみんな大人になっていったのよ。SORAくんとか27、28歳とかで大人として成熟していく頃で、このままでいいのか? みたいに人生を考える時期だったと思うんですよ。

──このままバンドでやっていけるのかという。

千秋:うん。ただなんか知らんけど、年末のクアトロはチケットの申し込み数もすごくあって期待値が高かった。なんでか知らんけど、俺のなかでライヴもよかったんですよ。その年にいいライヴした記憶なんかひとつもなかったのに。

──そんなことはないですけどね。新たなフェーズで音と言葉がしっかり噛み合うライヴで、2019年はむしろ常に精度が高かったように思います、観ていた側からすると。

千秋:そう言ってくれるのは嬉しいんだけど、ほら、思い描いてた理想と現実が違うっていう迷路にいたんだよね。でもね、あのクアトロは、ライヴ中にふと“DEZERTっていいバンドじゃん”と思った。

──それがあの発言のトリガーだった。

千秋:あの日の言葉は俺の意志じゃなくて、メンバーへのラブレターだったんですよ。もちろん関わる人へ対しても。俺は、言葉数多くて結論をなかなか言えないから。メンバーに対してありがとうとかもあんま言えてなかった。曲で俺のことをわかってくれよってスタンスだったんだけど、やっぱ人間に最後に残るのはシンプルな言葉だと気がついて。だから、「一緒に武道館やろう」って言葉にしたんです。「いつかやろう」はずっと言ってたことだから、あえて2年後ってリミットを設けて。正直、できると思ってなかったよ(笑)。でもさ、ちゃんと言葉にして「武道館に行こう」って言うことによって、メンバーは俺のラブレターをどう受け取るんかな? って。楽屋に戻ったらSacchanが「言ったからにはやらないとな」とか、当時いたスタッフも「言ったからにはやらないといけないですね」ってニヤニヤしてて。なんかいい空気になって。これでみんながやる気になってくれたら嬉しいな、みたいな発言だったと思う。

──バンドを束ねるための目標が必要だった。

千秋:うん、必要だったね。あの時は。

──実は今日いちばん訊きたかったのは、まさにあの2019年のことで。語弊を恐れず言うと、もともと人気があったバンドなのに数字上は一気に下降線を辿ったじゃないですか。音楽的には抜群に伸びているにも関わらず。活動においてはあそこが最も大きな分岐点でしたよね。

千秋:そうだね。“血液がない!”はかなり分岐点のツアーだったなって思う。「お客さん入ってないよ」ってスタッフにも言われてて。今だったら1人でも来てくれたら余裕でライヴやるけど、当時は「もうキャンセルしようよ」って言ってたからね。ツアー序盤の札幌とかもステージに出るのがすげー嫌だった。500人キャパのホールで150人くらいしか入んなかったんじゃないかな。ホールだからさ、散らせるんですね配席を。多少見映えよくできるらしいのよ。でもそこは俺のプライドで、全員前だと。誤魔化したってどうせバレるから前でいいよって始まる前はカッコつけたんだけど、でもどうしてもステージに行きたくなかったのね。その時に、SORAくんが……アイツは覚えてないかもしれないけど、「行くしかないじゃないか!」って元気よく大声でステージに向かっていったの。俺さ、それかっけぇと思って。なんかすげぇなと思ったのよ。諦めでも投げやりでもなく颯爽と登場していったのね。それ見て感動して、1曲目終わって2曲目に入る前に言ったの。「今スカスカだ、見たらわかる」と。「でもこれが俺らの実力だから、またここを埋めに来る」って。あのツアーからライヴへの捉え方、来てくれる人への感謝、コイツらが楽しそうにやってくれたらそれでいいじゃんってモードに変わった。あれから2019年最後のクアトロに繋がったんだけど。まぁ分岐点であり、挫折の一年だよね。

──挫折の結果。お客さんに感謝っていう言葉が合っているかわからないけど、そういう感情も生まれた。

千秋:めちゃくちゃ出てきたで。俺はね、あのツアーに来たお客さんは今でも来てくれてると信じてるよ。

──そんな気がしますね。

千秋:あれを共有したんだから。俺は勝手にそう思って信じてる。もちろんね、その前後に来てくれてたお客さんも当たり前に大事なんだけど。あれは忘れないよね。

──ところで、千秋さんが最初に武道館に立った時のことって覚えてますか? 2017年になりますけど。

千秋:MUCC先輩の主催だね。

──あの時は千秋さん的にはかなりプレッシャーのある舞台だったと思うんです。1曲目から……。

千秋:「アカ」ね。

──千秋さんが1人でステージに出てきて、ムック(MUCC)の代表曲カヴァーからスタートして。初めて武道館に立った時っていうのはどういう感触でした。

千秋:MUCC主催で出させてもらってる側だから、普通に“先輩にありがとう”って気持ちだけ。無事立って“うわー、ここが武道館だ”っていう感じはマジでなかった。どっちかっていうと、そういう感覚は2019年の代々木第一体育館のほうがあった。

──武道館宣言した直後のことですね。ちなみに2017年に初めて武道館に立つ前日もクアトロでワンマンでしたね。

千秋:あぁそっか。

──あのMUCC主催に出て、武道館が明確に目標になったわけではなかったんですね。

千秋:それはない。あそこで立たせてもらったからDEZERTも武道館をやろうとか、そこはマジで考えてない。2017年はね、もう記憶もないぐらい大変な年だったから。とてもそんなことは思えなかった。それで2018年もイベントでまた立たせてもらいましたけどね。

──「みぎて」をやった日ですね。その2年連続武道館も特に変わりはなく。

千秋:ない。むしろ俺らだけの力じゃどうにもならないんだってことを痛感するだけだった。俺らがなんかイキったぐらいで世界は動かないものだなって。

──でも事務所の先輩主催とはいえ、年々出演順がどんどん後ろのほうになっていったじゃないですか。ちょっとずつ俺らは武道館が似合うバンドになってるな、みたいなことは思いました?

千秋:全然。

──なるほど。限られた持ち時間のなかで武道館に持って行きたい曲たちがいっぱいあって、どの子どもたちを連れていくのか、何が似合うのか悩みもありましたよね。

千秋:これがまた難しくて。当時、曲のことを子どもだと思ってなかったからね。子どもというより、“俺の曲だ”っていうのがすごい強かったから。曲のことを子どもどころか、なんとも思ってなかった。ただ生理現象のように垂れ流すものって。でも、確かにちょっとずつ変わってきたんですよ。こんな時代、何があるかなんてわからないからさ、ライヴ終わったあとにもう一生会えないかもしれないじゃん。ファンもメンバーもスタッフも。だから適当なことはできないし、すべて今日最後に伝える言葉だと思ってやるようにはなっていった。そこは変わったっていう言い方がしっくりくるな。だから今回の武道館はそういう想いで曲を連れていけるよね。

──DEZERT武道館歴を時系列順でさらうと、2021年の“JACK IN THE BOX 2021”

では変化が外部に伝わってきました。DEZERT feat.暁(アルルカン) / 来夢(キズ)というコラボレーションで「「殺意」」をやって。アルルカン(現:ΛrlequiΩ)の暁さん、キズの来夢さんを交えたわけですが、あの時から千秋さんの発言の趣旨が大きく変わってきましたよね。次の世代でシーンを継承していこうと、これまでになかった発言もありました。

千秋:武道館に対しての意識が変わったのはここだろうね。責任じゃないけどさ、武道館に立ちたいではなく、ちゃんと立たないといけないだろうなってわかってきた。それこそ義務めいて不自由じゃんって話なんだけど、バンドをただ自由にやってたら武道館に立とうと思ってない。立てるなら立てばいいじゃんって無駄にカッコつけることはできたと思うけどさ、ハッキリ言って武道館できる動員ないのに武道館やるってカッコ悪いじゃん。だから結局のところ自由じゃダメなんだよ、無責任だもん。不自由だからこそ、しっかりやらなきゃいけないって自分自身と契りを交わせたし、その覚悟が本気だったら物事はちゃんと動きだすんだよね。

──世代を意識させた暁さん、来夢さんのフィーチャリングって発案は誰だったんですか?

千秋:誰だっけな。俺なんじゃないかな。

──新しい世代の中心として、そのDEZERTだけではなくみんなで一丸となって大きいステージ行こうという、いわゆる自分たちだけじゃない意識も芽生えた時期。

千秋:その時はあったね。

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