【櫻井有紀】スペシャルインタビュー◆病魔から復活した天使の足跡。Raphael・rice・aRaiseの時間軸と未来への地図。「歌えるだけ歌ってこうって思うようになった」
あ、もうこれで歌わなくていいんだなって。
────癌の公表以降、YUKIさんのコンディションをまだ知らない方もいると思うのであえて言及すると…正直ハンパない歌声でしたよね。あれだけ歌って叫んで喉を酷使した状態で「larme」と「calm」を歌いきってしまうとカムバック戦でもなんでもない、シンプルに素晴らしいシンガーの素晴らしい舞台っていう答えだったと思うんです。
YUKI:ありがとうございます。僕自身も手応えはすごく感じられましたね。「larme」は念願の原曲キーで歌えましたし。「calm」は作った時にはもともとオカリナを吹きたかったので、まだ悔しいことにもう一調上ではあるんですけど、それでも歌いきることができたっていうのはやっぱ達成感がすごくてですね、一瞬小躍りしてしまう感じでした(笑)。
────MCでも話されてましたが、前癌状態の時はそのことを隠したまま騙し騙し歌ってたんですよね。ご病気を悟らせまいと不本意ながら歌詞を飛ばしたフリをしたりとかなり辛い時期だったと思うのですが、それは今から5年くらい前のことですか?
YUKI:2019年10月の終わりぐらいですね。うん、ちょうど5年と少し前ですね。最初は痰が絡んでる感覚だったんですけど、咳払いしても拭えなくてずっと続くようになったんです。僕は朝シャワーを浴びながら鼻歌で新しい旋律や歌詞との出会いを探す習慣がずっと続いてたんですけど、声が急にパスッと途切れるようになって。
────違和感に気がついてきたんですね。
YUKI:なんかおかしいなと思いましたね。日ごろから2ヶ月感覚で常に受けてた喉の定期検診のタイミングだったので、そこでチェックしてもらおうと思ったんですけど、その間にどんどんおかしくなってくるし、怖いなと思って予約を早めて検診に行ったんです。診てもらった時の先生がものすごい表情で、あまりに怖いから「痰が絡んでるだけですよね?」って訊いたら「これは声帯白板症です」と。明確な治療法がない奇病の一つに指定されているそうで、「これって放っておくとどうなるんですか?かさぶたみたいに乾いてポロッと取れるとか、ポリープみたいにメス入れて切除とかで解消できるんですよね?」って訊いたら「前癌状態です」ってハッキリ言われて。安心するために日頃から病院に行ってたのに、まさかそんなことになるとはっていう感じでした。宣告されたのがライヴイベントの当日だったんですけど、チケットも満席でみんなが楽しみにしてくれてるイベントなのでなんとかやりきって。でも、喉に大きな爆弾を抱えてるんだっていうのを自覚してしまってからは毎日痛みがすごい出るようになっちゃって、意識するから歌い方も余計にどんどんおかしくなっていったんです。
────その状態は2年ほど続いたんですよね。
YUKI:そうですね。その間ずっと毎日癌に近づいていくんですよ。1年経つ頃にはもうまともに喋ることができないし、声もずっとガラガラでライヴでも「今日喉の調子悪いから一音下げさせてもらうね」とか隠さず言っちゃうぐらい心が折れちゃってて。その頃からは少しずつ楽器に“逃げよう”って考えになってベースやピアノをやるようになるんです。
────病気のことはまだ公表されてない時期ですもんね。
YUKI:そうですね。配信とかで状態が芳しくない話はしてたんですけど、ファンの子たちもリアクションに困るじゃないですか?何があったんだろうって。イップスとかジストニアとかそういう類なのかなと推測された方もいたみたいで、“一度休まれてはいかがですか?”みたいな心配のお言葉とかもたくさんもらうようになったけど、僕だけは答えを知ってるじゃないですか。休んでも治るどころか、癌に毎日近づいてるっていうのが。だから何もしないと不安に襲われてしまうので、見苦しいのは解ってたんですけど絶えず配信もするし、曲を作った報告をしてました。それで2021年7月の自分のバースデーまではライヴをどうにかやりきりたいと思ってはいたんですけど、その時はもう1日何100回も激痛が走る状態で、主治医にも「もうこれ癌になるよ」って言われてしまって。バースデーライヴ自体は仲間のお陰でなんとか良いライヴにはできたんですけど。その後のアフターイベントの時に、もう死ぬかもしれないし、せっかくだから大好きなシャンパンを人生の最後に味わってこうって飲んだことを覚えてますね。それから2週間ぐらいだったかな。3泊4日で病理検査のために細胞の一部をこそげ取る緊急入院をしました。そこで正式に癌宣告をされましたね。
────活動も止まってしまうわけですよね。
YUKI:でもね、むちゃくちゃ気持ちがスッキリしたんですよ。ブログで「喉頭癌になりました」ってタイトルで報告して。うん…すごい楽になれました。
────やっと言えたと。
YUKI:うん。誰にも打ち明けることができなかった日々からの解放ですよね。その頃には歌う事態が恐怖になってたので。あ、もうこれで歌わなくていいんだなって。
────………。
YUKI:声明を発表してから本当に心が楽で楽で。普通にスマホを触れる病床だったので、親兄弟や田澤くんとかにも“ごめん、癌になった”って報告だけして。もう死んじゃうかもしれないから、病院と病室の情報まで全部提供して“みんな会いに来て”って言っちゃおうかなって…最初はそれぐらい追い込まれてました。だけど、死ぬのはやめようと思ったんです。そこから放射線治療で毎日その病院に通わなきゃいけないし、炭水化物(糖質)が癌にとっての一番の餌になるから、食生活を徹底したりと闘病の日々が始まりました。喋れないし、まともに食べれないし飲み込むこともできないけど、栄養が取れない状態で痩せこげてボロボロになってそのままさよならっていうところ見せるわけにいかないなと思って。じゃあツラいかもしれないけど、その環境の中でも楽しめるものを探して、久々に全力で毎日お洒落してみようって、病院の入り口のところにある大きな鏡に映る自分のファッションを毎日撮って投稿し始めると、不思議とそれが楽しみになってきたんです。ウエストを絞れたら20年前のTシャツを着れるかもって思ってからは、体を作るのが好きになったり、それで今度は新しい洋服を買っちゃおうかなとか。そんな風に次第に前向きに過ごせました。そんな日々を送っていたら、放射線治療がいつの間にか予定の半分ぐらいで終わったんですよ。僕の症状の場合、被爆のリスクっていう観点だと照射の限界数が63回ぐらいだったのかな…それが34回で。幸運にも抗がん剤治療になる前にダメージが最小限で済んだので、声帯を摘出しないで済むことになったんです。
────シンガーとしてのカムバックももう考えてらっしゃったわけですよね。
YUKI:そこは考えてました。一音半ぐらいしか音域が出なかったんで、ドラマチックな演奏の中で僕はただ棒読みのように歌うだけの曲とかも作ってました。結局採用はしなかったんですけど、その当時の全力で取り組んではいましたね。