【DEZERT】12月27日、日本武道館ワンマンを目前に結成以前からのヒストリーを辿るフルメンバーインタビュー
DEZERTっていうバンドにはすごく人間味があったんだよね。
────そこからの道のりは3度目でO-WESTを完売して、一気にO-EAST、赤坂BLITZと遂に段飛ばしで規模を拡大していったわけですが。そのタイミングでメンバーの変遷も起きて、前回のインタビューで千秋さんはその頃を“地獄の時期”と語っているんですが、SacchanとSORAさんはどうでした?
Sacchan:まあ良い時期ではないのは確かですが、発言とか精神性がバンド活動においてめちゃくちゃ大事っていうこと、O-WESTを3回やってる間に理解できてたのは大きかった。ギタリストが脱退する時にかなり強い意志を持ってたのを覚えてますね。周りから見るとバンドのメンバー脱退って絶対的に規模縮小に向かうじゃないですか? だけど、これを機にもっと上に行くぞって強い気持ちで行けば大丈夫だって思ってた。もちろん前のギターをないがしろにするわけではなくね。でも、ちゃんと意志を持って発信していけば、むしろもっと上にいけるっていう謎の自信があった。
SORA:キラ君が抜けた頃だよね。
────そんな悲観的な感じじゃなかったですよね?
SORA:うん、そうだね。俺の場合もうバンドをやるっていう選択肢以外なかったから。地元の仲間と仕事するイメージも浮かばなかった。そりゃあさ、メンバーが抜けて自信があったとまでは言えなかったけどね。DEZERTは当時、俺の地元の親友がマネージャーで。あいつとよく2人で話してたことが俺の人生の背中を押してくれて、「アンタどうせバンドやめないから、ギタリスト見つからなくても千秋くんについていけば大丈夫だよ。Sacchanも頭良いし。お前はとりあえず進むしかないよ」みたいに。親友とはいえお互い仕事の付き合いになってたんだけど、その瞬間だけ地元のあいつの顔に変わってた。あの発言が俺の背中を押してくれたのは覚えてますね。当時の俺は感情の起伏が激しかったから、お金もなかったしこのまま続けてもどうなってくんだろうみたいな不安はあった。でも、あの時のメンバーの行動力は今考えてもすごかった。とにかく良いギターを探すんだっていろんな人に千秋が連絡してたし。そこでMiyakoくんが現れるんですよ。初めて会ったのは池袋の北口だったっけな?
Miyako:そうだね。
SORA:俺ともう1人で迎えに行ったんだけど、まあタトゥーまみれのセットアップきた180cmの男性2人がキャラバンに可愛い顔したみーちゃん押しこんでるわけですよ(笑)。あれは知らない人から見たらヤバかったよね。今にして思うとマジで申し訳ないことしたなって思う。
Miyako:あれは、下手したら通報されるよ(笑)。
────事情を知らない人が見たらビビりますよね(笑)。Miyakoさんはその時期、Moranという大きいバンドが解散してしまってから将来のことってどう考えてました?
Miyako:もうバンドは辞めようと思ってた。バンドをやりたい気持ちはもちろんあったんだけどね。残ったのはどうしても続けられなかった2つのバンドに対しての悔しい気持ちだったな。Moranの時だったかな、解散するかしないかみたいな話をしてた時に、俺はまだ続けたかったんだけど、「お前はまだ若いから次もあるし」って言われたことがなんかすごい悲しくて。年下だったけど、俺からしたら年齢なんて関係なかったしすごい悲しい気持ちになった。メンバーの優しさと思いやりだったのもわかるんだけど、それまでの2バンドで人間的にも素晴らしいと思うメンバーとも出会えたし、その結果続かなかったんだからもうバンドはいいかなって思ったんだよね。
────そんななかでDEZERTから声がかかって。Moranと音楽性が違うし、バンドに対するモチベーションが消えかかった中で加入に至る動機があったわけですよね。
Miyako:なんか、DEZERTっていうバンドにはすごく人間味があったんだよね。俺ってずっと年上とバンドをやることが多くて、当時はそんなふうに思ってなかったけど、今思うとどこかビジネス感もあった気がするのね。でもDEZERTはみんな年齢も近いし、最初のサポートとかスタジオに入っててもなんか面白かったんだよね。楽しいというか、なんか面白いバンドだなって。俺は参加してないのにレコーディングにも顔出したりしたんだけど、なんか今までやってたバンドとは違った。自分がやってこなかった人間味がある感じのメンバーを見て、羨ましかったし自分になかった魅力に惹かれていったっていうところはあるかな。
────楽曲スタイルの違いはさして気になる要素ではなかった。
Miyako:もともとスタイルとか全然気にしないタイプだから。だからこそDragonWAPPPPPPERからMoranに入ってるし。結局、自分が好きな音楽やってたとしても1年、2年とかで解散したら意味ないじゃん。音楽性は全く気にしていなかったし、どんな音楽性だったとしても、DEZERTはすごく良い楽曲をやってるっていうイメージはサポートやるとか加入がどうだとかの前から思ってたから。
────Miyakoさん加入以降は2ndフルアルバム『最高の食卓』をリリースして、Zepp Tokyoでのワンマンも大成功。そして2017年には2ヵ月で35本以上を回るDEZERT LIVE TOUR 2017 “千秋を救うツアー”が始まるんですよね。この4人の地盤を強固にしていくって狙いもあったのかなと思うんですけど、結果的にはバンドにとってもヘヴィだったとうかがっています。当時、僕も千秋さんに話を聞く機会があったんですけど、「3本目くらいでこのツアーをやる意味がないと思った」と語っていた記憶があるんですよ。
Sacchan:正直言うとあの時期一番記憶が無いっちゃ無いですね。目まぐるしいスケジュールに僕らがバンドとしてまだ慣れてなくて。みーちゃんは経験値があった人だからどうだったかわかんないけど、そのほかの3人っていうのはあそこまでのロングツアーに出たこともなかったしね。それこそ3日に1回ライヴをやって、なんなら3Daysとかもある状態で、スタジオに入らずに地方でライヴを回っていく行為が初めてだったからとにかく目まぐるしかった。毎日のように長い時間メンバーと一緒にいることもそれまでなかったし。もちろん1つひとつのライヴに対して思うこともいっぱいあったんだろうけど、もしかしたらメンバーが少しずつ違う方向を見てたのかもしれない。たとえばSORAくんがキツそうな雰囲気出してるなとか、なんか千秋くんが無茶なこと言い始めてるなとか。いろいろあった。
千秋:(笑)。
Sacchan:バンドが壊れないように決まってる日程をやりきろうってことでいっぱいいっぱいで記憶がないですね。壊れないように……とか考えられてたのかすらも思いだせない。この状況をどうやったら解消できるんだろうってことで精一杯すぎました。
SORA:あの時期に関しては、いろいろなところで話をしてきたからなんて言ったらいいか難しい。発言するのが重たいかな。
────2024年現在として思うことでいいんじゃないですかね。
SORA:そうね……。まあしんどかったかな。何もしたくなかった。とにかく平和にライヴが終わってほしかったし、メンバーとも話したくなかった。“27クラブ”ってよく言うでしょ?
────27歳で亡くなるミュージシャンが多いとされているんですよね。
SORA:自分がその時期、27歳だったこともあって成人してからの変革期の年だったと思う。30歳を越えてからは自分の考え方も変わってきたから今では捉え方も違うんだけど、少なからず当時の変革期の俺にあのツアーの容量はしんどかったんじゃないかなと思いますけどね。自分が目指すべきやりたいことと、千秋やメンバーがやってることのベクトルが違い過ぎて「あ、じゃあもう俺じゃなくていいじゃん」みたいな感じ。とにかく1人でいたかった。あのツアーの量に対して、精神的にキツくなる理由って成長した今だったら最初からわかるんだけどね。
Sacchan:大変だったからね。
SORA:マネージャーもいなくて事務作業もしながらあのツアー……それも今の俺からしたら言い訳になっちゃうんだけど、音楽以外でメンバーとぶつかることもあったから、「俺ってなんなの?」みたいになっちゃってたんじゃないかな。
────千秋さんもいろいろなところでこのツアーを振り返ってきたと思いますが。
千秋:今振り返るとツラかったんだろうなと思うけど、俺は別に好きにやってたからね。俺は自信持っているのが、結成当初から今に至るまで基本的にバンドが優先順位の一番上なんですよね。これを当たり前って思わないでほしいんだけど、と言うのも、生きていればみんなきっと優先順位が変わってくるわけだから。でも俺の場合はバンドが一番。曲作ってるからとかヴォーカルだからとか関係なくて、何よりもバンドを大切に活動するって決めてるんですよ。目黒のガストでSacchanと“終わらないバンドを組もう”って言った時からこのバンドが一番なの。例えばそこで好きな女ができようが、宇宙飛行士になりたかろうが、このバンドは俺が抜けるわけにはいかない。俺が絶対売らせなきゃいけないって決めごとがあったわけですよ。それをツライっていうのであればツラかったのかもしれないですけど、当たり前にそれしかやることがなかった。それは今もずっと。いろいろな人に知ってもらってバンド続けるために曲を作ってたし、自分が気持ちよく酔いたいからライヴしたことなんてない。みんなはツラそうだったけど、俺は気にしなかったですね。人間ですから自分のキャパシティがあるなかで、俺は幸い自分が舵とってた部分が多いから自分のキャパシティ内でやれてたし。俺が全ての責任を背負えたんだよね。ワガママも、メンバーを傷つけたことも含めて。あの時期を越えて、今ではメンバーと見ている方向が同じで、それぞれのキャパシティが大きくなったってだけで、マインドは一緒なんですよ。だから“千秋を救うツアー”を経て、誰かの何かが変わったんじゃなくて、向いているベクトルがちゃんと一致しただけだと思う。
────バラバラだったけど、目指している場所へ辿り着く術がわからなかっただけでそれぞれに闘ってはいたんですね。
千秋:そう。それをツラく感じたかどうかの違い。でもさ、ツラくない人生なんかある? どんなにお金持ってたって、美しい自然に囲まれて生活してたって多分ツラいよ。だけど、たまにある良いことのために頑張れるわけでしょ。みんなDEZERTが優先順位のトップにいたからこそ、SORAくんは自分に何ができるんだろうって苦しんだし、自分の可能性とも向き合ったんだよ。それはSacchanもみーちゃんも一緒。あの時バラバラだったことは仕方がなかったんじゃないかな。でもさ、正直売れてるバンドに限って突然解散すると思わない?
────ありますね。
千秋:思うんだけどさ、みんなそのツラい時期も売れ続けちゃったから解散したんじゃないかな。バンドも会社もそうだと思う。俺らはみんなが大変な思いをした時期に、その内情と現実が乖離してなかったからそれぞれに頑張れたんだよね。あのツアーも俺はやってて楽しかったから。俺は空気読まずバカスカ毎日みんなに「飲みに行こうぜ!」って言ってたし、今にして思うと、そういえばSORAくんがあんまり参加してなかったかなってぐらい。俺こういう性格だから、SORAくんが落ち込んでるのわかると「何を暗くなるんだ!」みたいにグイグイいくから、それは良くなかったんだろうなと思う(笑)。
────なるほど。前回のインタビューでお話いただいた2019年のホールツアーでは、ステージに上がりたくない千秋さんを前向きに鼓舞したのがSORAさんだったり、今振り返るとDEZERTは様々なことがありましたよね。
千秋:総じてみんなの人生に起きることが起きてきたんだよ。それをみんなで乗り越えてこれた。あの時は絆が深まらなかったけどバンドにとって必要な作業だったんですよね。
────Miyakoさんは実際に加入してロングツアーを経ていかがでした?
Miyako:外から見てた時と印象は変わんなかったかな。それこそさっき言ったように人間味があって面白かった。ライヴが終わって空気が悪いときもいっぱいあったんだけど、普通にオフの日はメンバーと飲みに行ってたもん。まあSORAくんは一瞬来なくなった時期もあったけど、でもさ、SORAくんとユニバとか行ったのもあの時期だっけ?
SORA:うん。
Miyako:なんかね、俺の視点だと楽しい思い出もいっぱいあるんだよね。自分的にも苦しんだし、加入してもっと理想に近づけるようにってもがいてはいたと思うけど、それを言ったら別に今でも苦しんでるしね。そういう苦しみがあったなかで、メンバーと仲悪かったかって言われたら全然仲良かったよ。みんなもそうかもしれないけど、いろいろあった時期を楽しく乗り越えて今があるっていう意味ではやっぱりあれは大きなツアーだったんじゃないかなって思う。
────Miyakoさんは日頃から「DEZERTのすごいところは4人だけでご飯に行くぐらい仲良いところ」って言ってますもんね。
Miyako:みんながいるところでそれ言われると恥ずかしいけど(笑)。でも、そうだね。
千秋:いや、メンバーだけでメシ行くのなんか普通のことやで? 行かないほうがバンドとして変やろ(笑)。