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【櫻井有紀】スペシャルインタビュー◆病魔から復活した天使の足跡。Raphael・rice・aRaiseの時間軸と未来への地図。「歌えるだけ歌ってこうって思うようになった」

YUKI-Starring Raphael-名義での活動といい、2024年に櫻井有紀が起こしたアクションは大きな注目の的となった。
喉頭癌からの華々しいカムバック、そんな言葉だけでは言い尽くせぬ想像を絶する日々がある。
だが、櫻井有紀はその日々を軽妙なトーンで語った。まるで別世界の出来事のように。
絶対的な歌唱力を持つ“天使”はその声を失うことに向き合い、それでも音楽を奏でることを早々に決意していた。
誤解を恐れず言えばこれは感動のカムバック劇ではなく、絶えず音楽と人生に対峙し続けた1人のミュージシャンの意志の結実でもある。
櫻井有紀がRaphaelを纏う理由、そしてその先に描く未来を語ってもらった。

今の自分がどこまでいけるのかを見たかった


────11月9日に<声帯音存参周年記念式典 『OH HAPPY DAY!!』>を池袋EDGEで開催されました。
ライヴレポート公開中(https://www.visunavi.com/2024-11-17/18977/)
記念碑的な1日の手応えはいかがでした?

YUKI:自分のスケジュール的にも怒涛のライヴラッシュの中のど真ん中だったので、喉の調子は正直前日までは良くなかったんです。本番が始まるまでは不安を抱えたままだったんですけど、いざ舞台の上に立ってみると“神様っているのかも”と思って。なんとか今の自分のベストコンディションで歌いきることができましたね。あと、ステージの上から見ていると「この子、来てくれるの多分十年ぶりぐらいかな」みたいなファンの方たちも目に入るんですけど、歌いながらお名前を思い出したりとか、皆さんがいろんなところから節目の記念日に駆けつけてくれてたのが嬉しかったです。

────そういう光景自体も力になりました?

YUKI:かなりなりました。なんて言うんですかね…僕ももうその辺は覚悟ができているというか、また会えたとしても次は数年後とかしばらく会えない人もたくさんいるんだろうなと思いつつも、そういう久しぶりの方たちの目にも耳にも情報が届いていることは嬉しいですよね。

────喉頭癌を経て、初めて声を出してから丸3年の日ということでしたが、セットリスト自体も20曲のロングメニューでした。印象的な場面ってありますか?

YUKI:場面っていうより全編的にゲストヴォーカルの2人にはたくさん助けられました。人の楽曲の歌詞を覚えるってすごい大変だと思うんですよ。メロディを覚えるだけでも大変ですしね。テキストカンペも自由においてもらって構わないし、ハモれそうだったらハモってねってざっくりとしたオーダーしか景夕くん(Kra)と団長(NoGoD)にはしてなかったんですけど、いざ蓋をあけてみると、「この歌詞は大切な部分だと思うのでYUKIさんひとりで歌いますよね?」とか僕の喉のスタミナ温存目的で主メロをアシストしてくれたりと、とっても真摯に取り組んでくださったことが嬉しかった。楽器チームも同様に、アドリブの名手なタイプの人もいますし、それぞれのスタイルの中でやってくださいってオーダーをしているんですけど、「Raphaelの楽曲を弾かせてもらうにあたっていつもと違うシステムを組みました」とか「華月さんの音に寄せてみました」とか…ありがたいですよね。RENOくん(ViViD)も華月のイメージカラーの青のギターを持ってRaphaelの曲を弾いてくれたりと、演奏とかパフォーマンス以外の部分でもみんなの心意気みたいなものを感じて、各メンバーからすごく愛情を注いでもらったなって思います。

────言葉にするのがすごく難しいですけど、サポートメンバーさんがみんなYUKIさんっていう人間と声をすごく信じてたと言いますか。バンドサウンドって本来ドラムに集約されるはずなのに、あの日はYUKIさんの声に全ての音がまとまってアンサンブルを構築する美しさを感じました。

YUKI:ありがとうございます。歌いながら仲間たちの愛を僕も感じていました。

────YUKIさんご自身も闘病生活を経て、歌う意味合いが変わった曲ってありますか?

YUKI:ありますね。今回のセットリストはまさに病気を抱えていることとか、内側の部分に対して自分でクローズアップして反映してます。自分を俯瞰する感じで描いた作品が「larme」っていう曲と「calm」というバラードなんですけど、「calm」を書いてるときはもう癌宣告された後で、頭の中は真っ白で作ってるときのことはあまり覚えてないんです。ぼーっとしてて、気が付いたらデモ音源が仕上がってる!?ぐらいの感覚。多分若干パニックだったんだと思うんですけど、その時期の曲は“もう二度と歌えないだろうな”と思って作っていたんですよね。声帯を摘出する可能性もあるっていう診断でしたし。あの当時はとにかく一回自分の得意なキーで曲を作ってみて、もし一生歌えなくなったら、僕が大事にこれまで関係を育ませてもらってきた信頼のおけるヴォーカリスト達に託そうって思ってたんです。それこそ勝手に田澤孝介(Waive / Rayflower)に託そうって決めてました(笑)田澤くんと僕でKarmaっていうユニットを組んでるんですけど、僕の喉のこともあるし、彼も今WaiveとRayflowerが忙しくてなかなか一緒に活動できてないんですね。そういう経緯もあって、もし僕が歌えなくなった時は僕の代わりに歌ってもらいたいなって話をしてたんです。ただ、結局自分で歌うことができちゃっているので少し不思議な感じなんですよね。歌えなくなることを前提に書いてる歌詞だったものを、今の自分が歌うということが。数奇な運命と言いますか。

▲2024.11.09 声帯音存参周年記念式典 『OH HAPPY DAY!!』

────本編終盤に披露された「larme」と「calm」は特に重要なポイントだったと思うんですけど、あえてあの終盤に置いた意味はありますか?

YUKI:編成として相性的にも2部のメンバーとプレイするべきだったっていうのがまず一つ。

────日頃からYUKIさんの楽曲を演奏しているメンバーさんですもんね。

YUKI:あとは、今の自分がどこまでいけるのかを見たかったんですよね。セットリストの中でも特にキーの高いこのバラード2曲は歌っているパート自体がものすごいハイカロリーな構成になっているので、まさにそれを本編の後半の後半にもっていくことで今の自分の力を確かめたかった。楽曲を表現するのに相応しいだけの体力があるのかとか、消耗しきってスカスカでボロボロの姿を見せることになるのかっていう…。すごくドキドキしましたけど、この3年の節目の中で勇気をもって挑戦しないとダメだなって……いや、正確にはダメってことはないと思うんですけど。うん、自分を鼓舞する為のセットリストでしたね。

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